古賀和則(バスクリン社長)プロフィールや学歴は?経営の原点を探る

社長
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世界的に見ても風呂好きな民族・日本人

毎日湯船に浸かる人も、シャワーがメインの方も一度はお世話になったことがあろう『バスクリン』

今回紹介させていただくのは、バスクリンを作る株式会社バスクリン社長の古賀和則さん。

『古賀和則(バスクリン社長)プロフィールや学歴は?経営の原点を探る』と題してお送りしていきます。

どうぞ最後までご覧ください。

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古賀和則(バスクリン社長)プロフィールや学歴は?経営の原点を探る

まずは古賀和則さんのプロフィールや学歴を見ていきましょう。

名前:古賀 和則(コガ カズノリ)
誕生年:1954年
生まれ:兵庫県神戸市
出身:広島県
出身大学:創価大学

古賀和則さんは兵庫県神戸市生まれ

両親と暮らしていましたが、父親が昼からお酒を飲むような生活で、母親が耐えきれずに夜逃げを敢行。

母親は3人の子供を抱えて、広島へ移住します。
その後父親は行動を改め、最終的には和解されたそうです。

古賀和則さんが10歳のときの出来事なので、幼い頃から凄い経験をしていますね。

幼少期を広島で過ごし、大学は創価大学のブロンズ像に憧れて、創価大学に進学

大学入学後は吹奏楽部の創設に尽力します。

友人と語らいながら部の創設に携わりますが、のめり込み過ぎて留年の危機を迎えます。

必死に単位取得に努め、なんとか単位を取得するものの、取り終わったのは卒業式のあと。

卒業式は在校生側として、生徒を見送ったようです。

もちろん就職先は決まっておらず、バイトをしながら東京での生活を続けます。
しかし、1979年に親から強引に広島に戻されます。

当時は就職難の時代ですが、なんとか津村順天堂に入社。

広島支店でも順調に役職を伸ばし、32歳のときにお見合い結婚をしています。

1997年には18年勤めた広島を後にし、本社へ異動。
部長職にまで昇進します。

成り行きを見ていると、一つのことにのめり込むタイプの人なんですね。
本社への異動も、募集に対し深く考えずに手を上げたそうです。

楽観的な性格と、身軽さが魅力に感じます。

その後、株式会社ツムラ(旧津村順天堂)はバスクリン事業の子会社化を始めます。

子会社の社長を誰にするか社内で話題になっていた時期、古賀さんは本社のロビーでツムラの社長と遭遇。

社内の人間から子会社社長を選定していたようで、古賀さんに意見を聞いたところ、『社内なら私がいいと思う』と言ったそうです。

結果、古賀さんは2006年株式会社ツムラライフサイエンス(後のバスクリン)の社長に就任。

たまたま社長とばったり遭遇したタイミングや、『社内なら私がいいと思う』と言える古賀さんの度胸。

仕事の評価ももちろんですが、運も胆力も、スケールの大きさが伺えるエピソードですね。

古賀和則(バスクリン社長)の経営の原点を探る

古賀さんの経営原点は『英知を磨くは何のため、君よそれを忘るるな」』

仕事とは挑戦の場
人間修練の場
人を育てる場
自己実現の場

このように捉えています。

子会社の社長として様々な取り組みを行い、赤字企業だったバスクリンを見事にV字回復させています。

取り組み① 経営理念の設定

会社が設立して最初に行ったのが、経営理念の設定です。

200名以上の社員と1対1で会話し、経営理念を全員で考えます。

また、全社員に挨拶、スピード、整理整頓を徹底させ、基礎となる社内風土を築き上げました。

取り組み② マーケティングの実施

ドラッカーの有名なフレーズである「事業の目的は顧客の創造」について考えます。

バスクリンのファンを増やすために、お客さんが何を欲していて、商品を買う動機は何か?
お客さんの願いを叶えるためには何が必要か?

経営者としてその重要性を従業員に伝え、研究に取り入れていきます。

取り組み③ 会社の独立化

当時、ツムラの100%子会社だったバスクリン

ツムラから経営方針に口出しされないため、2008年にバスクリンをファンドへ売却
親会社への甘えもここで断ち切ります。

同時期にリーマン・ショックが発生。
経営が苦しいこと社内に知れ渡ります。

古賀さんは2009年1月5日
常事態宣言を出して、どうすれば収益が上がるか?

全社員にプラン提出を指示します。

様々なプランが飛び交い、社員も追い詰められたことで、自ら考えて動くようになり、会社が一体となります。

まさにピンチをチャンスに変え、株式会社バスクリンは大きく成長します。

その後、2009年以降は順調に売上を伸ばし、アース製薬のグループ会社になります。

さいごに

『古賀和則(バスクリン社長)プロフィールや学歴は?経営の原点を探る』と題してお送りしてきました。

古賀さんは広島出身、創価大学卒業

津村順天堂に就職し、本社へ異動後、子会社の社長に抜擢されます。

分社後は、経営方針の設定や、マーケティングの最適化で売上をV字回復させ、アース製薬のグループ会社に。

経歴を見てみると、古賀さんの『とりあえずやってみよう!』の精神が成功の鍵みたいですね。

最後までご覧いただきまして、有り難うございます。

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