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永井彰一(田園プラザ社長)の経歴や学歴は?赤字回復の経営術が凄い

2019年11月7日

1日まるごと楽しめる!
遊べる食べられる道の駅『川田田園プラザ』

日経プラス1の『家族で1日楽しめる道の駅』で、東日本一位に輝いた程の人気スポットになります。

今回紹介させていただくのはこの川田田園プラザ社長の永井彰一さん!

『永井彰一(田園プラザ社長)の経歴や学歴は?赤字回復の経営術が凄い』と題してお送りしていきます。

どうぞ最後までご覧ください。

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永井彰一(田園プラザ社長)の経歴や学歴は?

まずは永井彰一さんの経歴や学歴をみていきましょう。

名前:永井 彰一(ナガイ ショウイチ)
出身:群馬県川場村
生まれた年:1963年
最終学歴:法政大学法学部卒業
経歴1:1989年 永井酒造入社
経歴2:1999年 永井酒造社長就任
経歴3:2007年 田園プラザ川場社長就任

永井彰一さんは法政大学法学部を卒業後、カナダに渡ります。

バブル最盛期で、スキー場やリゾート地の開発がピークになる直の時期。

本場のリゾート地を見て、設計の仕事に携わりたという一心で、カナダに渡ったそうです。

まずは語学学校に4ヶ月程度通い、その後は飛び込みで仕事探し。

知り合いのツテがないにも関わらず、海外に渡って自力で仕事を探す行動力に、圧倒されますね。

スキーのガイド会社に入社するため、国家資格を取得。

現地で外国人を対象にしたバスガイドで、生計を立てていました。

しかし、1年ほど過ごしたところで日本に帰国。

実は永井社長、群馬を代表する銘酒【水芭蕉】で有名な永井酒造の跡取り息子。

実家から捜索願が出されていました。
父親から帰国を切望され、泣く泣く帰国したそうです。

帰国後はアメリカのアウトレット施設が日本でも流行ると思い、大手デベロッパーに提案。

当時はバブル真っ最中だったため、相手にされなかったようです。

今となっては当たり前のアウトレット。
時代を先取りし過ぎてしまい、世間の理解を得られることが出来ませんでした。

カナダから帰国後

1989年には永井酒造に入社

アメリカに帰りたいと思っていた永井社長は、『会社が早く潰れないかなー。』と考えていたそうです。

そんな生活を送るある日のこと、群馬県内で吟醸酒を作っている蔵がほとんどないことに目を付け、高級酒作りを計画。

全国の酒蔵を歩き回り、酒造りの勉強を始め、杜氏と相談しながら水芭蕉の商品開発を進めます。

水芭蕉の売れ行きは上々で、品物が足りなくなるほどの人気ぶり。

このことがキッカケで酒造りが楽しくなった永井社長
ついには蔵を建ててしまいます。

そして海外でも売れる自信のあった日本酒を、日本酒ブームに合わせて販売。

最初は海外販売が早すぎて、全く売れなかったそうです(笑)

アウトレットや日本酒の海外販売。

時代の先を行き過ぎている永井さんは、今では一歩ではなく半歩先の戦略を心がけているようです。

永井彰一(田園プラザ社長)の赤字回復の経営術が凄い

続いては永井彰一さんの経営について見ていきましょう。

永井社長は2007年に田園プラザ川場の社長に就任。
当時の村長さんから頼まれ、3年という期間限定で承認したそうです。

就任したばかりの田園プラザ川場の評判は悪いものばかり。

・ゴミをまたぐ田園プラザの社員
・アイサツをしない田園プラザの社員

とボロクソに言われる始末。

商品を卸す問屋や、商品を買われるお客さんにも、買ってやっている。売ってやっている。という状態だったそうです。

田園プラザ川場を再生するために、永井社長は3つの改革を実施。

1.社員の意識改革
永井社長は就任後、決意表明をしたそうです。

『今日から私が社長です。今まで通り賞与はあげられないので、嫌なら2週間以内に辞めて下さい。』と発表。

決意表明をしたものの、退職者は0人。
心置きなく意識改革を始めます。

事業内容、活動内容を細かく聞き出し、どんな作業が効率的なのか聞き出したそうです。

2.サービス・商品の見直し
永井社長自ら現場の声を聞き、商品開発を行います。
GOサインが出ないとパン一個も販売させない徹底ぶり。

また、独りよがりにならない地産地消を進めていきます。

地元で愛されている食材も、他県の人からは受け入れられないことが多いため、受け入れられるものを作ることにこだわりました。

何よりも顧客満足。

『これで200円もするの?』ではなく、『これが200円で買えるの!』と思わせる商品作りを徹底したそうです。

3.お客さんや問屋に対する考え方
当時はお客さんや問屋に感謝の気持ちがなかったといわれる田園プラザの方々。
購入して頂いたお客さんや、納期までにちゃんと品物を入れてくれる問屋に対して感謝の気持ちを持つように指導。

徹底して教育をしたところ、2ヶ月くらいから現場が変化していったそうです。

この3つの改革を行い、初年度から黒字化に成功。

収益が出たことで賞与を支払うことができたそうです。

1年目から赤字体質の企業をV字回復させた永井社長の手腕は、本当に驚かされますね。

さいごに

今回は『永井彰一(田園プラザ社長)の経歴や学歴は?赤字回復の経営術が凄い』と題して、お送りい致しました。

永井彰一さんの最終学歴は法政大学法学部
卒業後の経歴はカナダに渡ったのち、実家の永井酒造に就職

吟醸酒・水芭蕉の開発などを経て、永井酒造の社長に抜擢。
田園プラザ川場の社長には2007年から就任という経歴の持ち主です。

経営は3つの改革を武器に、初年度から赤字回復で奇跡の復活を遂げています。

今後も永井社長のアイディアから目が離せませんね。

最後までご覧いただきまして、有り難うございます。

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