天童木工をご存知ですか?
おしゃれな家具がほしいと考えた人は、天童木工の名を聞いたことがあると思います。
独特で洗練されたデザインは、購買意欲を高めますよね。
今回ご紹介させていただくのは天童木工社長の加藤昌宏社長
『加藤昌宏(天童木工社長)の経歴や学歴・大学を調査!経営戦略が凄い』と題してお送り致します。
どうぞ最後までご覧ください。
加藤昌宏(天童木工社長)の経歴や学歴・大学を調査!
まずは加藤昌宏社長の経歴や出身大学などの学歴などを見ていきましょう。
名前:加藤昌宏(カトウ マサヒロ)
出身大学:日本大学法学部政治経済学科
生年月日:1944年or1945年
※2019年10月時点の年齢から算出
加藤昌宏社長は1966年に日本大学法学部政治経済学科卒業
同年、1966年に株式会社天童木工入社
代表取締役社長は2001年の6月に就任しています。
大学を卒業してから天童木工一筋で仕事をしてきたようです。
天童木工は1940年から続く老舗。
設立当初は弾薬箱や軍需品を製造していました。
元々、職人が集まって出来た会社なので、加藤昌宏社長も最初は様々な建具を作っていたみたいです。
加藤昌宏社長が就職した1966年は天童木工が福岡営業所を開設した年。
2年後の1968年は当時の社長である大山不二太郎が亡くなったことにより、加藤徳吉さんが社長になります。
副社長には大山勝太郎さんが就任。
この大山勝太郎さんが加藤昌宏社長の前社長となります。
天童木工の沿革を見ていくと、歴代社長は生涯現役を貫いたみたいですね。
加藤昌宏社長さんは入社後、20年近く務めた後に1987年には取締役総務部部長に就任し、順調に昇進したようです。
1998年
常務取締役総務部長
1999年
専務取締役営業本部長
2001年
取締役社長就任
創業者の血縁というわけでもなさそうなので、まさに現場の叩き上げの社長。
現場の意見を取り入れた、素敵なアドバイスをしてくれそうなイメージです。
天童木工の経営戦略が凄い
続いては天童木工の経営戦略について見ていきましょう。
天童木工の家具といえばやはり洗練されたデザイン!
ブルーノ・タウト氏デザインの「緑の椅子」復刻に技術協力させていただきました。天童木工の得意とする成形合板技術を活かし、そのスレンダーなボディーには高度な技術を必要とする「不等厚成形合板」を用いています。https://t.co/VAHQLANohG #少林山達磨寺 pic.twitter.com/XXIjZeKIfZ
— 天童木工 (@Tendo_mokko) June 19, 2018
70年代頃の天童木工社製、オーク材のプライウッドフレームにカンチレバー構造を用いたの椅子です。Z型の脚部には「コマ入れ」と呼ばれる、強度と視覚的なアクセントを兼ね備えた無垢材のパーツが見られます。天童木工ならではの成形技術が見事に体感できる、すっきりとしたモダンなデザイン。¥28,500 pic.twitter.com/rjpkE2iwDP
— 古道具 LET 'EM IN (@Let_Them_In) February 1, 2018
温かみのあるデザインで、木の曲線が特徴的ですね。
この形をが出来るのは天童木工の成形合板技術。
※4:00過ぎた辺りで木の、加工をするシーンがあります。
家具の値段がどんどん下がるなか、天童木工は自社の強みである成形合板に特化。
終戦直後の1947年には、スギ材の加工に取り組み、高周波発振機に25万円(現在で約7,000万円)の投資をしたそうです。
結果、この投資は大成功。
独自の技術で家具だけではなく、自動車業界にも進出し、2017年には自動車関連だけで、約9億5000万円の売り上げに登ります。
2014年には林業の低迷問題を解決するために、山形県産のスギを使ったイスやテーブルを販売。
従来の木目と違った柔らかい雰囲気を持つデザインに、注文が殺到したそうです。
さいごに
いかがでしたでしょうか?
『加藤昌宏(天童木工社長)の経歴や学歴・大学を調査!経営戦略が凄い』と題しましたお送りしてきました。
加藤昌宏社長の学歴は日本大学卒業。
天童木工に就職後は約20年の下積みを経て社長に就任しています。
経営戦略も自社の強みを生かした、独自路線で世界中で愛される家具メーカーに!
今では山形県産の木材を使い、林業問題にも積極的に取り組んだ企業になります。
今後も国産材を取り扱い、洗練されたデザインで林業問題を引っ張るメーカーとして目が離せませんね。
最後までご覧いただきまして、有り難うございます。
コメント