ラーメンといえば、誰もが一度は食べたことのある国民食の一つですね。
自分のお店を構えるために、人気のラーメン店で修行をしてから独立。
独立までの王道パターンですが、そんな常識とは違ったエピソードを持つ琴平荘
ラーメン店での修行を経ず、店主の独学で行列のラーメン店を作り上げました。
今回の記事は琴平荘の店主・掛神淳さんの記事となります。
一体どんな経歴で、なぜラーメン店を始めたのか?
『掛神淳(琴平荘)の経歴やプロフィールは?店の場所や営業時間も調査』と題してお送りいたします。
どうぞ最後までご覧ください。
掛神淳(琴平荘)の経歴やプロフィールは?
まずは掛神淳さんの経歴やプロフィールを見ていきましょう。
名前:掛神 淳(カケガミ アツシ)
誕生日:1965年5月1日
出身:山形県鶴岡市
出身高校:酒田南高校
出身大学:東京国際大学
趣味:ラーメンの食べ歩き
掛神淳さんは1965年に山形県鶴岡市に生まれます。
高校は山形県酒田市浜田にある私立大学に進学
2020年度は偏差値39〜58と同じ学校でも学力に差がある学校です。
掛神淳さんが通っていたときは、俗に言う不良高校。
地元のワルが集まる高校で、生徒もドカンという太いズボンを履いている生徒が実際にいたみたいです。
高校卒業後
高校卒業後は東京国際大学へ進学
元々英語が得意だったため、英語を生かした何かをしたいと考えていました。
しかし、掛神淳さんは一人っ子だったため、父親から猛反対を受けます。
大学は『社会勉強がてら行ってこい』といわれ、行ったようです。
家業を継ぐことが決定していたため、好きな英語の勉強にも身が入らず、遊んで暮らす毎日。
単位に必要な試験も受けなかったため、留年してしまいます。
結果、大学生活は1年半で終了し、家業を継ぐことになりました。
大学中退後
大学中退後は父親の仕事を手伝うことに。
琴平荘とは別に、父親が経営していた炉端焼きのお店を手伝います。
旅館業を継ぐ前の、下積みに通じる期間だったと、本人はコメントしています。
その後は、祖母の時代から続く琴平荘の跡を継ぎ、経営を任されます。
琴平荘の跡取りとして経営していきますが、売上が落ち込む冬に、何か対策が出来ないかと考えます。
①掛神淳さん自身がラーメン好きだったこと。
②鶴岡地域では、いいお客には出前をとってラーメンを食べさせる文化があったこと。
この考えから、閑散期対策としてラーメンの販売を開始しました。
ラーメンを扱い始めてから
まずは11月から3月に販売。
集客が一番落ち込む時期を狙ってラーメンの販売を始めます。
3〜4年がったたところで、人気に火が付き始め、「通年でやってくれないか?」という要望をもらうまでに。
要望に少しでも答えようと10月〜4月とオープン時期を2ヶ月延長します。
お客がお客を呼び、今では開店前から行列ができるほどに成長します。
旅館とラーメン屋の2足のわらじは難しいということで、現在はラーメン専門店として営業されています。
琴平荘の場所や営業時間も調査
続いてはラーメン琴平荘の、場所や営業を見ていきましょう。
住所:山形県鶴岡市三瀬己381-46
アクセス:JR羽越本線三瀬駅 徒歩17分
営業時間:11時〜14時
電話番号:0235-73-3230
定休日:木曜日
開店1時間前から並び始めると言われています。
待つときは、大広間で待てるようですが、ピーク時には2時間以上待つこともあるようなので、食べに行くときは時間に余裕を持って行ってくださいね。
さいごに
『掛神淳(琴平荘)の経歴やプロフィールは?店の場所や営業時間も調査』と題してお送りしました。
掛神淳さんは酒田南高校出身
大学は東京国際大学を中退しています。
英語を生かした職業を希望していたが、一人っ子のため致し方なく家業を継ぐことになりました。
冬場の閑散期対策からラーメン事業を展開。
自身のこだわり抜いた食材で、今では開店前から行列を作る超人気店に成長!
今後も美味しいラーメンを作り続けて欲しいですね。
最後までご覧いただきまして、有り難うございます。
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